活字のもととなる種字を、
原寸・左右逆字で手彫りする超絶技巧。
日本の活字史を支えた職人の聞き書き記録。
清水金之助さんのこと
清水金之助さんは、種字彫刻師です。活字の鋳型となる「母型」の、さらにもとになる「父型=種字」を彫る職人でした。金属(地金)の種字を彫っていたので、「地金彫刻師」「直彫り師」とも呼ばれました。
1922年(大正11)1月10日、東京生まれ。高等小学校卒業後、14歳で種字彫刻(地金彫り)の名人・馬場政吉に弟子入りし、種字彫刻師になります。1945年(昭和20)の終戦後には、東京都大田区に自分の地金彫り工房を構え、独立しました。清水さんは、当時、母型製造・活字鋳造のトップメーカーだった岩田母型製造所(デジタルフォントメーカー・イワタの前身)などの注文を受けて、新聞などに用いられる活字の種字彫刻を手がけていました。
しかし1950年代ごろから「ベントン彫刻機」という機械の国産機が普及しはじめ、種字彫刻の注文が少しずつ減っていきます。1961年(昭和36)、清水さんはとうとう種字彫刻工房を閉め、種字の手彫りの仕事を終えました。ところが2004年(平成16)になって、活字史研究者などで構成される「活字研究会」から「種字を彫ってほしい」と依頼を受けます。これを機に、清水さんは43年ぶりに種字彫刻を再開。以降、2011年(平成23)12月に亡くなるまでのあいだ、何度も実演会を開催しました。
見ているほうが息を止めてしまうような細かい作業をしているのに、清水さん自身はいつも笑顔で、「なんでも質問してくださいよ」と気さくにお話しをしながら、手はまったく止めず、マッチ棒ほどの小さな軸に下書きなしで、左右逆字の種字をどんどん彫り上げていきました。その仕事は、まさに神業でした。
本書『活字地金彫刻師・清水金之助』は、清水さんの半生をまとめた聞き書き記録です。
目次
序文
口絵
はじめに――「活字地金彫り」とは
長生きできると思わなかった
仕事はだれも教えてくれない
書道を始める
数多く彫るには
毎晩、背中を流してくれた旦那
活字の難しさ
赤紙
地金彫刻工房を開く
文字の彫り方
活字地金彫りの衰退
ベントン彫刻機を始める
文字から離れて
地金彫刻師・清水金之助の復活
終生、彫り続けたい
おわりに
清水金之助年譜
著者
雪 朱里(ゆき・あかり)
ライター。1971年生まれ。武蔵大学日本文化学科卒。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷、手仕事などの分野で取材執筆活動をおこなう。著書に『時代をひらく書体をつくる。―書体設計士・橋本和夫に聞く 活字・写植・デジタルフォントデザインの舞台裏』『印刷・紙づくりを支えてきた 34人の名工の肖像』『もじモジ探偵団 まちで見かける文字デザインの秘密』(以上、グラフィック社)、『「書体」が生まれる ベントンと三省堂がひらいた文字デザイン』(三省堂)、『文字をつくる 9人の書体デザイナー』(誠文堂新光社)など多数。『デザインのひきだし』誌(グラフィック社)レギュラー編集者もつとめる。